アメリカ写真 【小池清通】

ネイチャーフォト【小池 清通】
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 写真とは感性で感じ捉えるもの

  
  - 写真機が写すもの VS 写真機を通して捉えるもの の違い -

 写真撮影の理屈や理論、そして工学的なデータを知らない子どもが写した写真に素晴らしい感性を感じることがあります。それは感じたものを自然体で捉えているからではないでしょうか。理屈や理論では物事は動きません。数字で全てを考えている方々には叱られるかもしれませんが、1+1が必ずしも2にならないのが自然界の偉大さであり、またその中で命を与えられた生き物が認めるべき枠のないエリア、スペース、感覚だと思っています。

 昔の町医者というものはその地域の患者と共に存在しているので患者さんの名前や顔を知っているだけではなく、家族構成や食生活における好き嫌いまで熟知している場合が多いようです。そしてそれぞれの家族の故人が亡くなった理由なども熟知している場合が多いため、家系による病気の傾向や体質までを理解しています。ですから、風邪をひいて病院を訪れる人がいても、その人の家系は呼吸器系が弱いので肺炎に気をつけるようにしたり、内臓系が弱ければ、それに対応する処置をとってくれます。ところが、現代のような大型病院システムが普及して行政的に都市化システムの一機能として病院を配置してしまうと、そこで待っている医師たちは来診患者たちの家族や経歴を知らずに往診によるデータのみを元にして処方箋を試しながら「探り」治療しようとします。診断の当たり外れの率という点でいうならば、システム化されデータで処理される患者は宝くじを買いに病院に行くようなものかもしれません。ただ宝くじとの違いは、はずれると命を落とす可能性があるということです。

 職人という言葉があります。例えば植木屋さん。樹木を売って庭に植える人と、樹木売って庭に移せるようにしてそれらを守り世話をする人がいます。これも前述の医療システムと同様に単に大量の仕事をこなすことだけを前提にシステム化したものは植える樹木の性質や土壌の特性などを考えずに、単にデータを元の植えることが多いでしょう。ところが樹木と共に生きている昔ながらの植木職人は仕事の段取りなどの「システム」はあるにせよ、植える樹木の特性を理解し、植える個々の木の様子を伺います。植え付け先の土をみるだけでなく、水はけや日当たり、周りにあるほかの植物との関連や距離までも感じ考えます。

 ジョン・フィールダーというコロラドで有名な写真家がこんなことを言っています。

  「写真は9割が感性で、1割が写真機」

 写真は写真機が工学的に捉えるものではなく、写真機を使って撮影家の感性を焼き付けるものだということです。これに私は同感です。近年写真展や写真関係のコンテストにみる写真は美しく、型にはまった構図で構成されています。ただ誰が撮った作品なのか名前を見ないと分かりません。写真作品に個性がないということです。それは、写真家が写真機の技術やレンズに身をゆだねすぎているからではないでしょうか。

 いつみても飽きない写真やなぜかまた見たくなる写真というものが今は少ないように思えます。私は土門拳さんの写真が好きなのですが、時々見たくなります。今のようなテクノロジーがなかった頃の写真家の作品には、それぞれの個性(感性)が焼きこまれているように思えてなりません。作品に見られる作者の気性や感情さえも感じられることが写真鑑賞の楽しみであり奥行きであることを知ってこそ、自分が撮影者となる時の気持ちの位置がきまると思います。

 いつも暖かい座布団。シャッターを押せば必ず撮れる映像。考えることなく機械が全てやってくれる機材。

 ものが豊かになると危機感がなくなり周りを労わる気持ちが薄らぐという心理状況があります。何かしらの制約があってこそ生かされると思えるほどに近年の技術や物資の流通が我々の本能さえも退化させていると思える中、人間の素晴らしさを見直していかなければならないのではないでしょうか。

 社会が作り出す矛盾を再認識する必要性。ゲームの普及が子どもの創作性を退化させ、人を危めることを何とも思わない時代になっています。秋葉原の事件や勉強しろという父親を深夜に刺し殺す娘の事件が、極端な話かもしれませんが、「発展」という名の下で犠牲にしているものの大きさに気づくチャンスを与えていると思います。ローマ時代から進化していないという人類が、ものにばかり潤いを求めずに、人間が本来持っている素晴らしいギフトを活かせる場を見直すことが大切だと思います。

 写真撮影という感性を活かせる活動は、単に商業的にツールを普及させて烏合の衆を持ち上げて収益のみを求めてやっていくものではありません。それぞれが誇りをもって自分の作品を追求し、感性に磨きをかけていくものではないでしょうか。それが「文化」としての素晴らしさに繋がると信じています。

 写真文化というものを考えると、ある業界の長が語った言葉を思い出します。

 「芸術性重視し質にこだわる編集長と収益を重んじる経営者が怒鳴りあいながら話し合って創られた写真雑誌や写真集は、大変内容が濃く文化性があるものです。」

 この表現が本物を象徴していると思います。出版社に限らず、ビジネスが扱うもの・サービスの質を考えず、単に数を売ることだけを考え、収益だけを求める誇りなき組織になると多くの「もの」だけがやたらと世に氾濫します。コンテストでおびき寄せ、書店に並べるという餌で個人出版を勧め詐欺行為をしてまで収益を上げた出版社がありました。また、言動の矛盾に気づかずに詐欺まがいの誇りなき運営を続ける会社もでてきます。鰻の産地偽称や製造日偽装など「誇り」を持っている経営者ならば腹を切ってもやらないことを平気でやる恥さらしが目に付く時代だからこそ、「本物」の価値が再認識されなければいけなくなっているのではないでしょうか。

 写真に限らず与えられたものに誇りを持ち、目先の利だけに身を投じることなく先をみて信念を通せる度胸のある人たちが今後も「文化」を守り継承していくと思います。そんな中で何かの役に立てればと思いつつ仲間の輪を広げています。

 形を残すことの大切さと大変さを感じながらも、今後も元気に前進していくつもりです。

 

 
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写真作家 小池清通 コロラド事務所
「自然とつながる時」
Kiyomichi Koike Photography
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