写真作家 【小池 清通】

砂丘写真 【小池 清通】
 写真への思い
 プロファイル
 分岐点
 コロラドプラトー
 写真とは
 オリジナルプリント
 写真集・書籍
 米国撮影ツアー
 アーカイブ
  撮影裏話
 エッセイ
 大自然に思う
 潜在的な力
 ひとりごと
 展示会・講演会
 連絡先
 リンク
 フロントページ
 ENGLISH PAGE

 (園芸療法協議会季刊誌投稿文より)

                                                 [ 目次ページに戻る ]

 自然の流れとつながり

 近年、古くから継承さている自然との交わりから学び培われた季節の行事や儀式、筋目の振る舞いなどが、消えていくように思える時代になっている。一方、自然の中に生きる動植物たちには、誰に教えられることなく長い年月をかけて進化順応し身体で覚えている「自然とのつながり」がある。それは、春夏秋冬という季節のサイクルの中での流れを感じるものであり、与えられる環境の動きと変化に備えるものである。それは、誰もがもっているはずの本能というものである。動物が子どもを産む春は、その成長に必要な栄養分が自然から与えられる時期であるし、秋には実りが与えられ越冬に備える栄養分を蓄えることができる。植物が動物のためにこのサイクルを与えているのか、動物が植物に合わせてそれを作り出しているのかは分からないが、バランスというものを持って協調しているという点で、動植物はすべて自然の流れにつながって生きていると言えるだろう。

 動植物の共存には形がある。移動する動物に食べてもらうことによって種を少しでも遠くに巻き「種の保存」をしようとする植物は、植生環境によって味や形や色、大きさ、そして実のなる位置などさえも絶妙に工夫しているようにみえる。砂漠地帯では水のある場所が限られるために、水を求めて移動する動物に種を運ばせ、水のあるところで落としてもらう。果肉をご褒美として与え、消火できない種を排出させて、それが落とされたところで発芽のチャンスを待つのである。鳥に食べさせて運ばせることもあるだろう。実がなる前に受粉を鳥や虫にさせるのも、植物が蜜やネクターを与えることによって、自分のできることをそれぞれが精一杯やって、できないことのできるものに助けてもらう相互補助に似たものを感じさせられる。鶏が先か卵が先かという話をするならば、そのような植物の「種の保存」の形に合わせて動物が進化したのか、それとも動物の進化に合わせて植物が順応したのかは前述と同様に分からない。しかし、それぞれがお互いのために必要な時期に葉を出し、花を咲かせ、実を結ぶ。この微妙なバランスと流れが自然の中で美しく協調しながらつながっている。それは人間が作り出した社会にも当てはまる共存の形ではないであろうか。しかし自然のそれには営利欲や見栄、ましてや世間体などはなく、単に生きるための営みとして平然と、しかしながら必死に行われている。

 人類においては行事や儀式というものが季節を知らせる一つの目印になっていることが多い。特に農耕民族である我々には、「自然との共存」という太古からの大切な伝承が行事を通しても守られてきたと言ってもいいと思う。宗教的な儀式を通して、お供えをしたり神社や寺の掃除をする時期がある。また畑を活性化するための野焼きや堆肥の利用、山野に力を与える小規模な植林、草刈りなどもそうかもしれない。野草の様子を見ながら水門をあける時期を知り、水田に水を流すのことも季節と同調した農耕の知恵であり身体に染み付いている自然との絆である。しかしながら、近年は経済的な都合や祝日制度の都合などで昔からの祭日や儀式をずらすことがみられるようになってきた。せっかく先人が残してくれた「季節の道しるべ」の位置を変えるような行為は進行方向を誤らせ、予期せぬ終着点を与える可能性があるかもしれない。同時進行しているように、究極的に類似したズレを生み始めているのが温暖化現象による季節の移行や、気候範囲の移動や変化である。自然そのものの暦上の位置が動き出しているとすると、実際のバランスはどのようになるのだろうか。

 私の郷里、浜松(静岡県)でも昔は冬に氷がはったことがよくあった。空っ風で骨に染みる寒さはあるが、雪は滅多に降らない地域で、子どもの頃には氷を割るのが冬の楽しみだった。しかし近年は氷がはることさえも珍しくなってきているという。また、最近は私が昔は見たことのなかった野鳥が実家の庭に飛んでくる。これは明らかに気候分布や範囲に変化がでている証拠であり、また偏西風や季節風の流れに変化が表れている証でもある。水鳥などが戻ってきて川や池、そして用水路や田園地帯に目に付くようになってきたのは農薬使用を減らしたことや、使わなくなったお蔭だと思うが、それぞれ地域独特の渡り鳥の種類が変わってくるというのは大変なことにつながる可能性があると思う。北米大陸でも開拓民が多く中部平原地帯(現在の穀倉地域)に移り住むようになってきた頃に、農地開拓の名の下に地形を変えたり池や湿地帯を埋めるようなことをしたために、生態系に変化が起こり渡り鳥や季節によって移動する動物の移動ルートに大きな変化が起こっている。

 そんなことを思いながら、新年の挨拶と撮影初めの意味も兼ねて1月25日に砂漠に行ってきた。この日は晴天ではあったが、氷点下12℃まで下がった冬日だった。夕暮れ時には決まって風が強くなる自然の感情表現を魅せてもらえる場所なのだが、この日の異常なほど激しい強風で、横殴りのように思えるほどの角度で砂を飛ばし地面に煙を走らせるようであった。水分のあるところは凍りついており、残雪も固く固まって上に吹上げられて横たわる砂の下でじっとしていた。夕暮れ時には三脚を使っても揺れが強く、足跡は見ているうちに消えていくほどの風が吹き荒れた。流れ飛ぶ砂が煙のようになってあちこちに渦を巻き、砂の丘たちを登り空に舞う。そんな時に私は「砂は生きている」という言葉を思い出す。荒々しい出迎えではあったが、私を包み込んでいたそんな砂煙は、まるで砂漠の精霊たちだったように思えてならない。また、それらは自然が常に誰にでも話しかけ、時には訴えかけている気づきのメッセージなのかもしれないと思った。

 先人が、言い伝えなどを通じて私達に継承し続けてきてくれた言葉や物語は、そのような自然とのつながりを忘れることなく、畏敬の念をもって生きることを再認識させるものではないか。自然との共存は自然の流れが教えてくれるものである。その流れの中で生きている限り、私達はその掟を守らなければならい。そして、その流れの中で全てのものが土から生まれ土に戻る。存在するものの意味は、意味のある存在を示す。頭脳という卓越したギフトを与えられた人類が、今後取らなければいけない行動は驕りの中で自分本位に生き続けることではなく、同等のレベルで他の動植物の存在を見直し、一緒に将来に向かって歩むべきことであると思う。

 在米日本人写真家: 小池清通 - アメリカ合衆国コロラド州をベースに写真作家活動
                砂漠写真、砂丘写真を主体に大自然とのまじわり、つながりを写真を通して紹介

 

 
ページのトップへ



写真作家 小池清通 コロラド事務所
「自然とつながる時」
Kiyomichi Koike Photography
10167 E. Fair Circle, Englewood, CO 80111-5448 USA
 TEL:720-489-9327 / Fax:720-482-9926 / E-mail: nature@usa-japan.com