アメリカ 国立公園 【小池 清通】

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 (園芸療法協議会季刊誌投稿文より)

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 自然のバランスというもの

 身体は常にバランスを保つことによってその機能をフルに動かし、一つの生態系の流れがあるかのように一つ一つの細胞の共存体として生きようとしている。最近環境問題などで取り上げられ、エコシステム(生態系)の話がよくされるが、自分の身体を管理し健康に生きることこそがまず誰もができる最も大きな課題だと思う。それが社会レベルで個々の認識によって実行されれば、かなりの規模の社会貢献になるものと思うし、社会が健全に機能し始めることと思う。御存知のように身体の大部分は水分であるが、それが細胞に栄養を運搬する役割も持っている。また体内に入り発生した毒素や排出物を運ぶ役割もある。それは汗や糞便となって外にだしてくれる。そんな水分(体液)と同様に活発に身体の隅々まで駆け巡るのが血液であるが、血栓などができたり身体を冷やしたりすると循環が悪くなりもモタボリズム(新陳代謝)に支障をきたすことがある。外に出るべきものが出せなければどこかに蓄積し、最悪の場合にはどこかを詰まらせたり、腫瘍などを導いてしまう。

 最近のデンバーポスト紙(コロラド州デンバー)に野生馬に関する記事をみた。日本の73%前後の面積を持つアメリカ中西部の山岳州であるが、州北西部の高原地帯に約1000頭の野生馬が生息しているという。それはBLM(Bureau of Land Management)- 国土管理局によると彼らの生息域において生体数密度が高すぎるため400頭ほど間引きする必要があるというものであった。生物が繁殖するのは、それらが繁殖し自生できるだけの食料があるからである。生体数と生息地域の面積の比率による「間引き政策」は人間の理論ではあるが、自然の法則に必ずしも順ずるものではないのではないか。

 異常繁殖する生物が長期に渡って異常繁殖を続けることは自然の流れに従っている限りはまずない。自然はそのままにしておいても「調整」をしてくれるということである。野草の異常繁殖をみても不思議なほどバンランスがとれている。ある年に異常繁殖したものが次の年に再び異常繁殖するということは少ないし、他の野草が順番を待っていたかのように華を奏でたりする。そして、そこに自然のハーモニーがある。

 この人的な理論で命の源である大自然を管理しようとするならば「異常繁殖」して自然を蝕んでいる人類の「間引き」も必要になってくる。もしそうであるなら、一体誰(何)がその役割を担っているのだろう。大都市の人口密度は、野生馬のその比ではない。与えられた土地の食料以外のものが外部から流通システムという輸送手段で持ち込まれることによって都市は生きき続けることができる。しかし、人は自然を越えることはできない。どんなに技術が発達しても、自然がある故に存在させてもらっている限りは、この事実を変えることはできない。

 まだまだ表向きだけの騒がれ方であるが、温暖化現象というものに関心が深まりつつある昨今。営利団体は「グリーン」とか「エコ」という言葉を強調して商品、サービス販促に力を入れている。一つの例として、新幹線に乗ると電光掲示板でニュース記事の合間に「新幹線の一人当たりのCO2排出量は旅客機の10分の1です。温暖化防止に貢献しています。」というような言葉が表示されている。排気量、燃料、燃費、客数、移動距離の全く違う旅客機との対比によって、このような表示をすることが正しいのであろうか。「社会貢献」していると持ち込んでいるが、「貢献」とはどういうことであるべきなのだろう。実際に真剣になってCO2排出を減らそうと思うのならばダイヤを減らすのが現実的である。発展国には時間の余裕がなく移動時間は短くなればなるほど良しとされ、何でもお金で手に入るようにシステムを張り巡らして物を必要以上に移動させている。ご存知のように、ビジネスマンは「お金で時間が買えるなら、買う。」という。そういう私も帰国時は、新幹線に大変お世話になっている。

 子どもの頃バナナが珍しかった。台湾辺りから輸入されたものだったと思うが、熱帯の草の実であるバナナの育たない土地の人間が食べることが、本当にいいことだったのだろうか。というところまで話が進むと自然の流れと人間社会の要求が如何に矛盾しているかという話になっていくので省くが、ひょっとすると身勝手に地球に傷をつけ続ける人類の存在もひょっとすると「生態系」の中の何かの役割を担ったものなのかもしれない。だた、そうだとすると人類はそろそろ消えていく時期に近づいているような気もする。

 北極圏や南極圏の氷河や氷が溶け続け、そのスピードが速くなっているという。場所によっては以前の3倍の速さで氷河が溶け始めているらしい。太陽光の強さや温度の上昇によって氷が一旦溶け始めると、水が流れ始め低いところを求めて動き始める。それが氷河上であったとすると小さな亀裂を見つけて流れ、入り込んで道を作っていく。そうすると内部から亀裂の間に隙間ができ氷河自体の塊が緩く崩れやすくなっていくために溶け崩れる速度が速くなっていくという悪循環が生じる。氷河や積もった雪は地球上に注がれる太陽光を反射する作用ももっている。海は太陽の熱を吸収するが白い氷や雪はその吸収量が少ないため、地球全体でバランスを保っているのだが、前述の温暖化による雪面や氷面積の縮小によって、更なる温暖化促進が当たり前に注いでいる太陽の恩恵からも生じてしまう事態になっている。

 海の面積が増えれば太陽を浴びて上がる水蒸気の量も増えるから台風やハリケーンの規模やルートに変化がみられるようになるだろう。人間の寿命スパンの比ではないスピードで、砂漠地帯にジャングル化が始まり、湿地帯に砂漠化現象をみることもありえるだろう。前述の氷や雪の太陽光・熱を反射する役割の一部を多く発生するであろう雲たちが調整してくれる可能性があることは考慮に入れられるが、果たして地球全体のバランスに合ったものになってくれるかは分からない。

 最近は、新エネルギーとして注目されている風力発電や太陽光から発電するソーラパネルの活用が注目を浴びている。風力発電用の巨大なプロペラは発電用タービンを回して電気を作ってくれるが、その数や設置場所によっては、それら発電用プロペラが吸収(タービンに力を送ることによって減少させる)する風のために、そこより風下で生態系を形成している地域まで風が届かなくなる可能性があるのではないだろうか。それは風だけでなく、風が運ぶ埃や砂や湿度があるかもしれない。あの世界一の大砂漠といわれるサハラの砂は風にのってアマゾンの熱帯雨林まで届き、その砂がジャングルにはないミネラル分をもたらして生態系のバランスを保つ大きな役割を果たしているという。これも単に理論で結論を出すのではなく、「変化」を人為的に自然に加えることがどれだけの影響をつくりだすかというところまで考えて動く必要があると思う。

 地球全体が何かしらの形でお互いを支えあっているという事実をもっと強く認識しなければならない。地球上の氷の量が減ってきたらどこで補正しなければならないのか。補正が効かなければバランスに変化が生じ、否応なしに動植物はそれに順応しなければ生き延びられなくなる。野生馬も人間も同じ自然の中に生きる。生態系の篩い分け現象が今確実に起こっていることに気づく時代になっている気がする。人間の枠では理解できないレベルで、人間が今後何をしていっても「なるようにしかならない」という事実を熟知できたなら、先人が残したアニミズムや自然崇拝にみる謙虚な態度の必要性を再認識させられる時代がくるのかもしれない。ただ、それまでの時間的な余裕があるかどうかは定かではないと思う。

 在米日本人写真家: 小池清通 - アメリカ合衆国コロラド州をベースに写真作家活動
砂漠写真、砂丘写真を主体に大自然とのまじわり、つながりを写真を通して紹介

 

 
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写真作家 小池清通 コロラド事務所
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