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 ひとりごと - 与えられたもの

 アメリカ合衆国コロラド州在住 在米写真作家が綴るひとりごとシリーズ [もくじに戻る]


 与えられたもの

  撮影活動を続け重ねているうちに、 大自然に身をさらす回数が増えてきているのは、都会の雑踏や人々の邪気の渦から逃れているという意味では大きな恩恵なのかもしれない。見方を変えれば、人間が社会を形成し、集中都市化を近代システムの一部として進めてきたことによって発生している精神的に不自然な、そしてアンバランスなストレスから開放される「空間」に身を投じているようにも感じている。撮影地であるロケーションは人の手が入っているところが多いが、人工物があっても最小限に規制することによって生態系への配慮がなされている。だから、撮影中にその地域に生息する動物と遭遇する可能性は常にあり、しかしながら人とのそれと違って、彼らは自然の中で生きるための欲望と必要を求めて生活し協調してお互いを認め合うことができる。予期せぬことや無意味とも思えることを突然しでかす人間とは違い、彼らはその存在を尊重し、生きるための領域に尊重芯なく入りこまない限り人を襲うことはまずない。

 特に2002年から情熱を込めて撮影活動を始めた自分自身を回顧してみると、それ以前は今に比べて撮影に対しての撮ってやろうという欲望が強かった時期があったように思える。様々な状況や条件で与えられた経験を経て、現在写真作家活動をしていて思うことは、自然と対峙する際に畏敬をもった謙虚な心の必要性である。「写真は撮るものではなく、撮らせてもらうもの」 というのが、私の撮影活動における信条となっていることは分かってもらえると思うが、生きていることと同様に全てが与えられているものであると感じる時、今まで見えなかったものが見えてくる。それは、以前はそこになかったものが現れて見えてくるという意味ではなく、ずっとあったものでありながら、自分自身の精神レベルがそれを見れる位置に達してきたという意味である。撮影を修行に例えるならば、私などはまだまだ未熟だと感じているが、芸術家が死ぬまで修行であると考えるように、この未熟さは精錬を続け磨きがかかっていくであろう将来においても修行という意味で私の死が訪れるまで続くことだと思っている。

 与えられたもの。それは誰もが活かすことのできる大きなギフトだと思う。そしてそれは謙虚に生きるものには見えてくるものであり、感謝の気持ちのあるものには活かし伸ばすことができるものであるとも思っています。与えられた人生の時間と共に、大切にしていきたい。

(2007年9月)

 在米日本人写真家: 小池清通 - アメリカ合衆国コロラド州をベースに写真作家活動
                砂漠写真、砂丘写真を主体に大自然とのまじわり、つながりを写真を通して紹介
 
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写真作家 小池清通 コロラド事務所
「自然とつながる時」
Kiyomichi Koike Photography
10167 E. Fair Circle, Englewood, CO 80111-5448 USA
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