現代人心理 【小池キヨミチ】

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ひとりごと - すべてを求めて得るもの

 アメリカ合衆国コロラド州在住 在米写真作家が綴るひとりごとシリーズ [もくじに戻る]


 すべてを求めて得るもの


 100年前と比較して現代の文明には、とてつもなく「発展」したものがある。200年前と比べたら、もっと度肝を抜く発明や発見があるし、化石燃料が見つかるずっと前の古代であればこの世のものとも思えないようなものが、今は当たり前に出回っている。人間が火を発見した頃、木を燃やして光源とし暗闇の活動を助け、料理の幅を広げ我々の臓器そのものの機能性を進化させ始めた。土器の発達から鉄の発見へと移り、産業というものが発達してくる頃には化石燃料の発見があった。誰もが知っている知識さえ、昔の人々は理解することさえできず神仏化して物事を見ていたものもあることと思う。多神教的な無機物や有機物、自然造形物や地形における神聖視がされていたものが、近代的な発見によって見方そのものに大きな変化をもたらしている。

 物が豊かになり生活そのものが鮮やかで便利なもの(と思われるよう)になっている近代において、その発見や対応策の進歩にも関わらず、主要死因となる病気の比率や種類に変化があっても、決してなくなることのない疾病問題がある。1000年前だったら助からなかったであろう病気を、今は風邪程度に扱い治療できるが、病院はいつも満員状態で、先進国の一つであるアメリカでさえ巨大総合病院に設けられた巨大駐車場に蠢くように車が並ぶ。ウイルスには抗生物質で対抗し、更に強いウイルスが発生して反発してくると更なる抗生物質を投与するという鼬(いたち)ごっごは日常茶飯事であるが、これがとるべき術なのだろうか。それとも転がりだした雪だるまのごとく止めることができず、ただ大きくなるのを見守るだけなのだろうか。

 すべて求めても幸せはみつからない。しかし、すべてないからこそ、今あるものに対する感謝の気持ちが芽を出し大きく葉を広げる。感謝の気持ちを有り難く持つことができるからこそ、幸せというものの本質に触れ目覚めることを学ぶ。何よりも幸せは気持ちから発するもので、物質的尺度がない。故にそれを物質で満たそうとすると無理が生じるのは自然なことだ。数字で表したり、希少性や大きさ、価値というものだけでそれを測ろうとすると際限もない欲の泥沼がある。近代に見る発展がもたらした併発症は、この手の心理がもたらす景気であり、それらが作り出す張りぼて経済なのかもしれない。好景気だけを考え、利益追求のゴールが毎年満たされるとすると、経済は毎年かならず何%かの成長率をもって際限もなく成長しなければいけない。人間の人口がそうであるように、これ以上増えたら自滅するとまで言える「限界」があるはずである。化石燃料の発見から急激に増え始めた人類がたどっている道の末路は、学者でなくても検討がつくだろう。経済の成長というものは必ずしも右肩上がりであるばかりではなく、その時々に合わせて調整をするくらいのものがいい。腹が減れば何かを食べたくなる、喉が渇けば水分が欲しくなる、しかし満腹状態ではそれ以上食べたくならないし、食べても身体が受け付けない。そして成長期が過ぎ、老化が始まれば、身体は維持状態に切り替わり必要最低限のもののみを摂取する方が効率をよくする。老人がどんぶり飯を3杯も食べていたらどうなるだろう。人口の年齢配分のバランスが食糧消費において狂ってくる。経済もこれに似ていると思う。パイの大きさはある程度で止まると思うが、人間の欲がそこでとまらなければ、地球全体のバランスを崩して退化の道を歩み、ひょっとすると生態系から消されることになる。

 地球上の人口は5億人で維持せよと提唱するガイドストーンが米ジョージア州にある。宗教的な秘密結社の一員が巨額を投じて建てたというが、現代に至る時代の流れの中で投じられたメッセージだとしたら衝撃的過ぎるし、人間が建てたものだから身勝手な提唱だと思われても仕方がない。しかし、現実的に人間の数が増えすぎているという事実がある限り、このモニュメント云々というレベルではないところに警戒と感じるものもある。賛否両論だが、その5億人も、多様性のあるバランスととれた人間たちでなければ病的な人口に為りかねないことを付け加えたい。

 物事にはバランスが必要だが、どんなに美しく見える樹木も左右対称ではないように、アンバランスであることが自然の中のバランスを保つ一つの法則なのかもしれないが、不必要なものは無駄であり弊害を導く。日のあたらないところに枝を伸ばし葉を広げて成長する植物はない。針葉樹は枝を広げて行くことで、結果として太陽光の当たりにくいところに残った枝を枯れさせる。光合成のために必要な光のみを求めて枝を伸ばすのが自然の摂理である。すべてを求めて得るものとは、結局は欲のもたらす「物」だけであり、その割合が高まれば高まるほど「物」では満たせない精神的な潤いを失う。個々のレベルでいうならば、それぞれが与えられた命を大切に、持っている才能(ギフト)を生かして分相応の命の燃やし方を幸せに過ごすのがいいのだと私は思っている。

  現代社会で精神の病や、心理の不安定さなどが万延しているのは、心のバランスを物で補おうとする人が増えているからだろう。すべてを求めて得るものよりも、すべてを得ることによって失うものは計り知れないと思う。感謝の気持ちが芽を出し大きく葉を広げると、光合成(充実感)が活発化し幸せの気持ちが心の芯を潤す。

 

(2011年2月)

  在米日本人写真家: 小池清通 - アメリカ合衆国コロラド州をベースに活躍する在米写真家
                ライフワークとして砂漠写真(砂丘写真)を撮り続ける
                生態系というものを砂漠地帯の営みにみる 欧米文化

 
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