写真文化とメディア 【小池キヨミチ】

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ひとりごと - 写真文化とメディア

 アメリカ合衆国コロラド州在住 在米写真作家が綴るひとりごとシリーズ [もくじに戻る]


 写真文化とメディア


 
参考文: 新潟日報記事「ニッポン解析」 2010年7月3日掲載
(上記画像をクリックすると拡大画像が開けます)

 新潟日報紙の「ニッポン解析」(上記画像)では、「窮地に陥る銀塩写真」と題してデジタル化による銀塩写真の危機を論議するかのようにまとめ上げた文章がある。私は、銀塩写真とデジタルは別のものだと思っているし、それぞれの良さがあると思っているが、作家が撮影する作品と機材が捉える画像の違いが分かりにくくなるほどに技術が発達し、また普及し続けていることが、芸術という点で客観的に考えた場合に、果たして本当にいいことなのかどうかという疑問をもっているのは確かである。それは、芸術を認識し守り育て、将来に引き継ぐ義務や機能を持っていて初めて「社会」というものが健全な動きをすると思っているからである。社会の潤滑な流れを新陳代謝に例えるならば、血液の巡りや代謝機能を退化させることが、どのような障害をもたらすかを知らなければいけない。その役割を担っている誇りある職がメディアである。

 以下は、この記事掲載の数日後に新潟日報に私が投稿した文章である。現時点(7月17日)で、同紙のコラム「窓」に掲載されていないのは、掲載の順番を待っているためなのか、何らかの理由(都合)で却下されたのか、それとも自社のプライドを守る意思もなく単に削除したのかは分からないが、多くの方々に知って頂きたくここにアップロードすることにした。以下の文章は、匿名を使わず、プロの写真作家であることも明記し、本名で投稿している。(480字以内の条件での投稿)

 付け足し:新日報社は権威高い新潟県美術展覧会(県展)の主催をするほどの芸術保護育成をされているが、この県展での写真部門に銀塩(フイルム)とデジタルの応募枠を区別せず、1つのカテゴリーとして取り扱っているために2つが同一のものとして公認され、銀塩への危機感を持っているというよりも、上記の掲載の記事とは全く反対に銀塩絶滅を促進しているような行為をとっているという大きな矛盾を生じさせている。

 投稿文:

  7月3日付「新潟日報」の「ニッポン解析」欄「窮地に陥る銀塩写真」拝読。在米写真作家です。

 本年3月新潟フジカラーで銀塩プリント数十点を仕上げ、フジフォトサロン東京・大阪で個展開催を開催し8,000人余りのご高覧を頂きました。焼付けプロセスは、芸術家の感性表現を理解し、高度の技術をもって作品を仕上げられる熟練職人技師の手によるものです。仕上げの芸術的質感は、写真文化の深みと魅力を増幅し、作品に奥行きや深みを吹き込みます。

 御社主催の伝統ある新潟県美術展覧会において銀塩とデジタル作品の出展区分がないとのこと。芸術的な感性を磨きあう誇り高き県展で、なぜそんな曖昧な状況を放置するのでしょうか?デジタルにはデジタルの良さがあります。「窮地に陥る銀塩写真」記事掲載の一方で銀塩写真崩壊を促進するようにも思える流れ。これは県展がとるべき態度なのでしょうか。メディアとは、中立に公平に現実を直視し的確な判断を伴い、混乱を来たすことなく読者に情報を提供するべき誇り高き社会機能を担っていると思います。今の日本に必要なことは「職人」を守ることです。

 (投稿文おわり)

 是非皆さんのコメントを頂きたいのですが、メールで結構ですのでお寄せ下さい。宜しくお願いします。

  メールにてコメント送信 <nature@usa-japan.com>


(2010年7月)

  在米日本人写真家: 小池清通 - アメリカ合衆国コロラド州をベースに活躍する写真作家
                ライフワークとして砂漠写真(砂丘写真)を撮り続ける
                生態系というものを砂漠地帯の営みにみる 欧米文化

 
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写真作家 小池清通 コロラド事務所
「自然とつながる時」
Kiyomichi Koike Photography
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