写真展 【小池キヨミチ】

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ひとりごと - 無断撮影

 アメリカ合衆国コロラド州在住 在米写真作家が綴るひとりごとシリーズ [もくじに戻る]


 無断撮影

  先月(2010年3月)に写真展を東京の六本木ミッドタウンと大阪の本町にあるフジフイルムフォトサロンで新作発表の写真展を開催させて頂いた。総計約8000人という多くの方がご来場下さり、新作をご高覧下さったことは大きな喜びである。3年前の写真展(同フォトサロン東京と名古屋で開催)では、展示の趣旨は多くに通じメッセージを送ることができたが、作品の仕上げに問題があり展示そのものに少し支障を来たす点があった屈辱的な思いがあった。物事にはすべて意味があるように、その経験が今回の展示に更なる大きな力を与えてくれていた。

 審査が年々厳しくなる中で多くの写真家や写真作家、写真グループや写真関係組織が新作の発表の場としてこのフォトサロンを高く評価している。ロケーションという点でも、この東京会場付近には有名美術館もあり芸術には目の肥えた方々が多くご来場下さったことと思う。そして、私にとってとても光栄なことにベテランの写真家の先生たちと一緒に写真展を開催させて頂いたことは最高の贈り物であった。スペース1に丹地敏明先生、スペース3に橋本勝先生がそれぞれの作品を展示をされていた。 そんな意味では前回よりも厳しい眼で作品を見られ、また評価されたことと思い感謝しているが、この「ひとりごと」は写真展における作品の評価に関することではない。

 写真愛好家が技術の発達と機材の普及によって近年顕著に増えたことは素晴らしいことだが、個展開催が容易なものであると思われるような思い込みが著しい気がする。プロの写真家でさえ個展の開催が難しい(私は有難い2度目の写真展開催をさせて頂いたが、次回の開催には新規の審査申請と厳しい審査がある)と言われる同フォトサロンに限らず、名の知れたフォトサロンやフォトギャラリーには暗黙の了解、礼儀というものがある。それは、出展作家に対するそれであり、会場にも「最低限のマナー」として明示されている。それは、展示会場内での撮影の禁止、および飲食、喫煙の禁止というものである。また場所によっては、携帯電話の使用も禁止していることと思う。また、作品における著作権という法的所有権に関係するものも含まれているが、写真に限らず美術館などでも同様のマナーが「当たり前の礼儀」として誰もが持っている、..... はずのことである。ところが、この気にすることもないはずであった礼儀を知らない人が眼についた。(ところが不思議だったのは、私の気づく限りにおいて、大阪会場では無断撮影をしていた来場者は一人もいなかった。なぜだろう?)

 プロの芸術家はその芸術作品を売ることによって生活を支え、撮影活動を維持している。新作を発表することは私たちを支援くださるファンへの恩返しでもあるが、作品を公表するというプロセスはプロにとって大変重要な役割である。

 このことに関するエッセイは「ひとりごと」の「生態系」でも書いているが、多くの心に何が起こっているのだろうか。 会期中に何度目撃したことだろう。盗撮や周りを全く気にしない態度で老若、男女の関係なく顕著に見られていた作品や会場の撮影は礼儀のなさというよりも、誇りのなさに近いものを醸し出していた。 会場には目に付く何箇所かに撮影禁止のサインを含めた禁止事項を明示したものがあるのに。しかし、そんな中で礼儀ある方もおられた。 ある年配の方が受付にいた私に挨拶文とキャプション(作品に添えた詩)を撮影してもいいか、と聞いてきた。私は喜んでその受け入れをし、彼の横に立って撮影を正式なものとした。彼は小型デジタルカメラで撮影を終えると一礼をされ喜んでおられた。中にはキャプションをメモに移し書きされる方が何人かおられたが、これは承認を得る必要のない嬉しい行為である。ところが何気ない振りをして撮影する人が何人かいた。撮影しているという感じではなく「カメラ」をさっとかばんから出してさっと撮ってはかばんにしまいこむ。もしくは、カメラを首からさげており、いつでもこの動作ができるようにしている。美術展や写真展にカメラを持ち込むのはタブーだったように思っている私は歩くシーラカンス(化石)なのか。撮影時にピントを合わせることやシャッタースピードをセットする必要もない機材が、この「容易さ」を現実化していた。

 私は機材の良し悪しや優越に関して、デジタルとフイルムの比較をするつもりは毛頭ない。なぜなら、それは各自が決めることであり、表現の方法として各々に合ったものを選べばいいと思っているからである。しかし問題なのは、何も考えなくても瞬時に撮影ができる道具が出回り、誰の手元にもあるのではないかと思えるほどに当たり前に持ち歩かれていることにある。

 知人が連れてきた友人の一人が携帯電話で撮影を始めていることに気がついた。一点一点の作品をしっかりと正面から証拠写真でも撮るように撮影していた。果たして、それを止めなかった知人が悪いのか、気づいた時に何も言わなかった私が悪いのか。後から聞くと「撮った写真をモニターにのせて楽しんでいる」とのことであったが、結局無断撮影をなんとも思っていない知人に呆れた。私には「この軽い気持ち」 が現代の文明社会を象徴しているように思う。また専門家が職人として食べていけない大きな原因であり、またご先祖が培った文化をいとも容易く踏み潰してしまう傾向なのかと嘆く。展示者に対する敬意が皆無であり、前述の礼儀さえない行為だからである。最大の問題は、それを本人が全く気づいていないということである。

 携帯電話で撮る人、ポータブルの小型カメラで撮る人、一眼レフで撮る人とおられた。撮影の申し出があった方には個人使用に限るということで、喜んで許可を与えた。しかしその数人の許可を得た人たちを除いては、無断で撮影が行われていた。これも、知らないうちに何の躊躇もなく撮影をしている姿を目撃した際に大きな声で注意しなかった私が悪かったのか。それとも写真展に来場する方には最低限の礼儀をわきまえて展示者に対しての姿勢があるであろうと信じていたことが大きな過ちだったのか。などとなんともいえない情けさの中で考えていると、背後でフラッシュが光始めていた。撮影をし出したご年配は、真剣なまなざしで何点かの作品を正面から記録を撮るかのようにしている。そのフラッシュ光に気づいてオフィスから係員が飛び出してきて彼に向かって怒鳴りつけた。「ここは撮影禁止です。サインが見えないんですか!?」轟くような怒鳴り声に唖然としながら「無断撮影者」の顔をみると、誰に怒鳴っているのか分かっていないそぶりで驚いているようだった。自分のしていたことがどういうことかさえ把握できない人の手にまで、この文明の利器が普及している。

 現時点で、私の写真を画像として使用希望者が自分で撮影したものを私的使用目的で情報や案内として使われるだけならば私は気にしない。ただし私の承認を得たものに限る。その趣旨において撮らせてくれと言われれば、フラッシュを焚かないことと他の展示者(隣りの先生たち)やご高覧者を撮らない条件でOKを出していただろう。それは、当たり前の礼儀としての禁止事項を掲げているこの展示会場を使わせてもらっている作家の意思によるものである。何度も言うようだが、手ごろで簡単に写真を撮れる道具(機材)が出回っている。これでもか、これでもかといわんばかりに新機種が毎年発売され、市場が満腹状態になる以上の総数がばらまかれる。新しいものは更なる機能が搭載され、使う人は頭を使う必要が更に減少し、同時に周りに対する配慮も抉り取られる。

那智: 青岸渡寺(如意輪堂)側面

 文明のもたらす肥満。たとえば、コンビなどで売られる弁当は必ず余るほどの数が作られ店頭に並び、毎日多くが捨てられる。カラスの異常な繁殖に害鳥として対策を練る輩は、カラスは増えるだけの食べものがなければ増えないことを知らない。餌付けをしているのは誰だろう。撮影場所の状況(光など)を判断する必要もなく撮影時のシャッタースピードや絞りなどを考える必要もないツールが簡単に手に入る時代。文明の発達は、果たして私たちに進化というギフトを与えているのだろうか。私にはただ感性や感情、日本的に言うなら、情緒や相手を思いやる配慮や志を退化させているようにしか思えてならない。

 最近は米フォード社が縦列駐車を自動的にするシステムを搭載した車を作ったという。メルセデス社は前を走る車両との車間がある程度になると自動的に制動装置が作動する車を売り出した。雨が降り出せば、自動的にワイパーが動き出し、暑いと言えば自動的に空調が作動するものもあるらしい。人間はどこまで「進歩」するのだろう。ものには適応能力を持っている人とそうでない人がいる。果たして技術の発展が、一線を越えて営利目的だけの新物を開発し普及することが、「退化」の道への暴走を促さないのだろうか。そのうち座席に座るだけで動き出す車が登場するのではないか。

 ローマ帝国は何故滅びたのだろう、とふと考えた。

(2010年4月)

  在米日本人写真家: 小池清通 - アメリカ合衆国コロラド州をベースに活躍する写真作家
                ライフワークとして砂漠写真(砂丘写真)を撮り続ける
                生態系というものを砂漠地帯の営みにみる 欧米文化

 
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写真作家 小池清通 コロラド事務所
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