砂漠 【小池キヨミチ】

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ひとりごと - 限界と工夫

 アメリカ合衆国コロラド州在住 在米写真作家が綴るひとりごとシリーズ [もくじに戻る]


 限界と工夫

  先日余り大きな声で話したくないことが起こってしまった。私は、同年代人と比べれば体力はある方だと思ってはいるが、年齢は現実的なものであって「それなりに」ガタがきているものである。先輩の写真家Yさんが以前言っておられた言葉をふと思い出す。「僕は元気だけど10年前ほど体力はないですよ。」 そんな私も、人生の半分以上を生きさせてもらったからには、その年齢にはそれなりの限界というものが明確に見えている。そんなことは分かってはいるのだが、ある日(先日)腰が砕けるというか、ぎっくり腰のようなことになってしまった。靴下を履こうと思ったら「ぼぎっ」という音がしたような感触があって、その後に身体の軸が歪んでとんでもない痛みが呼びもしないのに長年の親友のように寄り添ってきてしまったのである。自分なりに工夫をして数日を過ごしたのだが、これは物理的に元に戻してもらわないといけないと思って整体士に診てもらった。その後徐々に回復して、また撮影に出かけようという意欲もでているのだが、しばらくは喉元にまだあの「感触」が残っていて、... 。

 よく考えてみれば私の撮影地のほとんどは砂漠地帯で足元がかなり不安定である。しかも車での移動が往復8時間前後で、移動中は椅子に座っての運転姿勢。撮影ポイントへの移動や撮影中の移動は全て砂地で、しかも平坦なところが少ないために左右の足にかかる負担や沈み込む砂で傾く角度が全くの不規則状態で5〜6時間も歩くと身体に偏った負担がかからない方がおかしいだろう。高校時代に地元浜松にある中田島砂丘(日本三大砂丘の一つで浜松祭りの凧上げ会場でも有名)にトレーイング゙に行って、あの砂地を走る辛さは身体に染みこんでいるが、渡米してて四半世紀経った今も同じ砂地とお付き合いしているというのが、不思議でならない。場所は違っても砂そのものの性質は同じで、携帯する機材によっては片側がどうしてもレンズ一本分重くなったりする場合もあるから、自然と身体はアンイーブン(平坦でない)で砂地の地表面を歩きながら、不規則ながらバンランスをとってある一定の部分に負荷を課してしまうことがある。それが蓄積して爆発したのが、最近起こった腰痛だったのだが、身体が動かせないという「限界」を与えられた時に再認識するものがあった。身体がきっと何かを教えてくれていたのだろう。

 それは私における撮影スタイル(人によって違うが)を確認するようなものだった。「限界」があると何もできなくなると思ったりするのは、マイナス思考。同じ状態でも、限界の中でできることを見つめ認識して、その出来ることを最大限に活かして行動を起すことができる。これがプラス思考だと思う。後者の場合でも、制約はあるからすべてが思うようにはいかない。それでもできることを活かすと撮影にも「限定された世界」が与えてくれる力が見えてくると私は思っている。歩行距離に限界が与えられる場合は、持っていける機材に制約が課せられるが、限られたレンズで何を撮らせてもらえるかを必死に考えることになる。フィルムを入れ替えられない状況を強いられたり、フィルムが割れるような気温が襲ってきたりする時もある。これは身体的なものだけでなく、天候や立地条件、法的な規制(立ち入り禁止区域など)なども同様である。与えられたものの中から何ができるかを考えるスタイルは、私の撮影には最も大切な要素となっている。

 子どもの頃、無性に空腹感に襲われたことがある。ところがポケットに入っていたのはたった20円。そこで20円で買える食べ物を捜そうとした。当時はおでん売りのおじさんが小型の改造移動おでん屋リヤカーを引きながら、ハンドルに括りつけてある小さな鐘を鳴らして歩いたものだが、おでん一本10円、関東煮も10円だったかなあ。それを買ったりしていた。駄菓子屋に行ったら飴玉が1個5円。スルメにタレがついていて串刺しになっているのが5円。20円しかないという「制限」が帰るものの枠(限界)を作っているが、それを充分に認識して買うものを選ぶことができた。ところが社会に出てお金が入るようになるとスルメもケースで買うことができるし、おでんだって一週間食べ続けられるくらいの量を一度に買うことさえできるようになる。そうなると選択する気迫が落ちる。すぐに買えるから。そんな状況では私は自分が自分に甘えてしまうからだ。だから、あえて限界を持つことが気迫や気力を充実させ、五感を目一杯に開いて動ける状態を自分自身に与えてくれる。

 どこに行く時でも忘れないことは、今見ている景色は今だけのものであって二度と同じものは魅せてもらえないということだ。そして撮影できなくても魅せてもらえたことに感謝することが大切だということ。つまり撮影できない条件を与えられ、結果として撮影ができないことが、他の撮影させてもらえる時に有難さをもてるということにつながる。 そしてその時持っている、もしくは持っていくことが出来た機材という制約の中から研ぎ澄まされる気が、大自然とつながる何かとの接点になるような気がしている。

 与えられたものから工夫をして自分のできることを精一杯にやるということは、写真撮影だけではなく人生という限りある与えられた時間の中で自分自身をどう活かしていくかという点においても、つながるものがあるのではないかと考えている。

(2008年12月)

 (在米日本人写真家: 小池清通 - アメリカ合衆国コロラド州をベースに活躍する写真作家。静岡県浜松市出身。1983年に渡米して以来アメリカ中西部コロラド州に在住する。)

 
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