写真撮影 アメリカ 【小池キヨミチ】

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 ひとりごと - 写真撮影方法

 アメリカ合衆国コロラド州在住 在米写真作家が綴るひとりごとシリーズ [もくじに戻る]


 写真撮影方法

 写真雑誌などで よく話され、写真愛好家の中では作品評価の基準の舵を大きく動かす先入観として信じられているものに撮影方法というものがある。いろいろと細かいことが好きなのが日本の文化というか日本人の島国精神かもしれないが、基本とその使い方の違いが感性の表現に違いが出ること、そして使い方によっては制約になることに気づかない人が少なくないようだ。

  絞り優先、シャッター優先という基礎的な表現方法を左右する撮影方法から始まり、レンズ選択がある一眼レフカメラなどの機材を使う時のチョイスによるそれがある。撮影機材の固定方法としては、初歩的なカメラの構え方、脇の絞め方、そして一脚や三脚の利用などに至るが、私は実際に撮影ポイントや撮影場所に到着して自然と対峙した時に何が大切なものなのかとよく考えることがある。私の場合、撮影ポイントまでに道がない場合が多く、また足場も岩場から砂地と決して歩きやすいところばかりではないが、撮影をする時の状況を考えてみると、気に入った、または撮らせてもらえる構図が見つかった時に三脚が立てられないこともありえる。天候によってはスローシャッターが無理な場合や、強風で三脚固定してもカメラが揺れる場合もある。単眼レンズを私は愛用しているが、手持ちのレンズに合った構図を捉えるポイントを探す癖がついているので作品撮影のためのアプローチには相性が合っている(自分がその場所を探して出向くことによって捉えられる構図)のだが、三脚は必ず持参するとは限らない。ない時はないなりの撮影アプローチをするだけのことであり、三脚がなくてもいい作品は撮れると信じている。

 2007年春に東京と名古屋で個展を開かせて頂いた時に、東京ではある年配の男性がこういうコメントを残された。その方は残念ながらお名前を名乗る意思がなく、芳名帳にも記帳がなかったので礼のしようもないのだが、眉にしわを寄せて受付にいた私を突然にらむように、何の前触れもなくこう言った。「なんだ、開放で撮ったのか?」その意味が私には全く分からなかった。実はあとで知人に教えられて知ったのだが「開放で撮る」というのは、実際に光が弱く絞りを開放状態にして精一杯光を入れて撮影するという意味ではなく「大判カメラ撮影」の表現で、何も考えずに撮影するという意味があるらしい。この写真展の作品は東京会場においては35点中2点だけが645による中判撮影だったが、残りの全ての作品は35ミリのポジ撮影によるものである。この表現自体の意味が分からなかったので、「中には光の加減で開放に近い撮影をしているものもあります。」を応えたのだが、この御仁はその素直な解答を聞いた途端怒り出して「俺の言っている意味が分からないのか!」と怒鳴りだした。何をむきになっているのかさっぱり分からない私は正直に「はい、全く分かりません。」と真顔で答えた。彼は額に血管を浮き上がらせて何か言葉にもならない声を出しながら、「有難うございました。」と深く頭を下げた私には振り向きもせず消えていった。35ミリで撮影したものは、4x5やそれ以上のフィルムサイズによる大判撮影をした作品に比べるとピントが甘くなる。メディアの大きさの違いによるものだが、果たして足元から前方までの全ての被写体に人間の肉眼による視覚以上とも思われるシャープな焦点が作品製作に不可欠なのだろうか?大判写真と勘違いして突然このようなことを言い出したとしたら、35ミリを馬鹿にするなといいたくなる気もするが、前述のように写真作品というものはピントがどうのこうのというよりも、目に見える映像がどのような見た人の感性へのアプローチをしてくるかによるものだと思う。 シャープなものもいいし、甘いものもいいということである。それは、作者の意図を表現する方法として覚えておくといいと思う。

 同じ写真展の名古屋会場では、40代と思われる男性がある作品を見てこう言われた。「これは意図的に被写界深度を浅くしているんですか?」彼の指摘したその作品を撮影した時は風が強く、三脚固定でもカメラが揺れる状態だったため、シャッタースピードを1/125位にして撮影したものだった。撮影時のコンディションの中でベストな撮影方法をもって作品として捉えられたものである。彼は、「もう少し後ろに下がってみてみて下さい。」という私の言葉にすっと後ろに下がって作品をみることにより私の意図を感じ取ったようであった。 焦点のシャープな手前の草むらに目がいくと、そのまますっと焦点の甘い背景へと目が流れて行く様子をみて彼は私の意味を理解してくれたと思った。

 作品作りとはこういうものだと私は思っている。 東京の御仁は作品やそれを通したメッセージを見にきたのではなく撮影方法を吟味しにきただけである。額やマットの色などを診にくる方もおられましたが、作品を視に来た方たちのコメントは心からでたもので、頭からでたものではなかった。写真展を開催するとさまざまな発見があるという先輩の言葉は確かなもので、撮影方法というものは、それぞれの個性を表現するためにも自分のスタイルをもってもいいと思う。また風景写真においては、撮影地の空気に慣れることが自分を自然体に近づけてくれると思っている。そうすることを繰り返しているうちに魅せてくれるものが見えてくるというのが私の写真哲学であるが、堅苦しいものではなく無我になることが私には撮影時のチャンスを見つけるサポートになっているようだ。

 基本は大切だが、それに振り回されることなく「作品」というものを考えながら、個々のユニークな撮影アプローチ方法や信念を持つと今まで以上のものが捉えられるかもしれないし、自分自身の何かの発見に繋がるかもしれない。写真撮影にはそんな魅力もある。

(2007年9月)

 在米日本人写真家: 小池清通 - アメリカ合衆国コロラド州をベースに写真作家活動
                砂漠写真、砂丘写真を主体に大自然とのまじわり、つながりを写真を通して紹介

 
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写真作家 小池清通 コロラド事務所
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