在米写真家 【小池キヨミチ】

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 フイルムとデジタル

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 フイルムとデジタルによる写真というものについて考えることがある。近年に見られる技術の開発や発展が目まぐるしい中で、写真というものにデジタル化が浸透している。自動機能が充実し、誰にでも手軽に写真が撮れることは素晴らしいことであり便利な時代になった。しかしフイルムとデジタルの両方が利用できる現在において、その使い分けがしっかりされているのかどうか、また使い分けをする意味があるのかどうかという疑問をよく問いかけられる。フイルムを主体に作品作りを続け、デジタルは現時点では情報供給用、記録保存用として商業写真中心に活用する中で、確かにデジタルでどこまで作品作りに臨めるのかというチャレンジや好奇心はある。しかし、私においては技術が撮影者の感性や勘を極限の位置で動かすことを必要としない「便利」を提供した位置での心地よさがまだない。最新のデジタル技術を駆使した機材で作品作りを試すような機会が与えられるレベルに私が上がることができれば、ひょっとすると新たなる発見もあると思うし、是非チャレンジしてみたいと思っている。

 現実的に考えて、私はフイルムとデジタルの写真を比べることはない。それはデジタル技術の開発において、フイルムに近づくことを前提としていることとか、実際に発色の違い(色を捉える方法)があること、ソフトを使って手直しや配色など多くのツールを活用できることなどは理解していても同じものとしてみることができないからである。しかし画像を記録するという機能において、それぞれ一長一短がある。

 最近雑誌や情報誌に使って頂く画像の撮影のためにをNikon D3s(以下D3s)入手し、私なりに使いこなしているが、最大限の大きさ(解像度)で撮影すると倍全サイズくらいまでは焼付けができると聞く。実際に作品をその大きさに焼き付けたことはまだないので、その質感や発色がどのように印画紙面で浮き上がってくれるのかはまだ分からないが、いずれ機会があれば全紙くらいのものを何枚か試してみたいと思っているし、デジタル作品での写真展も興味がある。しかしながら、デジタル撮影はD3sを使う時と、長年雨風を一緒に受けてきた愛機 PENTAX LX(以下LX)でフイルム撮影する時と同じポジション(マインドセット)での撮影はできない。これは私においてのことである。理由はいくつかあるが、それは前述のような両者の一長一短に存在する機能的な、またはそれ以外の性格(機能)的な違いを理解した上で読んで頂きたい。(以下順不同)

  1. フイルム撮影の場合はエクスポージャー数(撮影できる枚数)が限られているために、やたらとシャッターを押せない。またフイルム交換ができない環境での撮影では、更に気が張り撮影に対する集中力が深まり撮影そのものが儀式化されるほどに、その一瞬一瞬に凝縮される感がある。大判フイルムを使っている方は更にその意味を理解されることと思う。あと何ショット撮ったらフイルムがないという状況下で撮影をする場合には、消去したりやり直しが何度もできる贅沢がないため、被写体と向かい合う姿勢が研ぎ澄まされる。
  2. デジタル撮影の場合は(メモリー量や画像サイズによるが)設定次第では1000枚前後の撮影も可能となるために、撮影数に余裕ができる。例えばブラケティング撮影など、ほんのわずかな補正をしておくことによって貴重な出会いを露光適正と思われるセッティングとその前後を押さえ画像として的確な露光で捉え収める可能性が高まる。露光測定が難しい状況では優位である。
  3. デジタル撮影のオプションとしてD3sの場合、ビデオ撮影も可能である。LXはビデオを撮れないが、ビデオを撮ることができるという気持ちは全くない状態で撮影をすることになる。D3sはビデオも撮影できるという感覚を持って撮影できる。
  4. D3sは撮影感度ISOが12800 までセット可能なので夜間撮影も手持ちで可能となり、イベントなどの撮影にはフイルムではとてもできない機動力となる。また夜空の撮影などもレンズによっては星の光を意図的に流さないように撮影することも可能であろう。LXは使用するフイルムの感度に合わせたり(多少の増感は可)明るいレンズを使うことである程度の暗闇でも撮影ができるがD3sと同等の撮影はできない。高感度のフイルムを使い増感しても、このISOには敵わない。
  5. D3sは電池ですべてが動くために寒冷地では特に気を配らないと電池そのものの機能が低下したり使用できなくなる可能性がある。また長期撮影となると電池への配慮が必要で予備電池が必要なことも有り得る。LXは機械式カメラなので、露光計用に入っている小型電池が万一切れても1/125秒以上のシャッタースピードであれば撮影を続けることができる。また手動フイルムワインダーなので手巻きで撮影を続けられるが、寒冷地では手巻きを気をつけないとフイルムが割れることがある。
  6. D3sは撮影した画像をその場でLCDモニターで見ることができるが、実際の質感までは確認できない。LXは現像が完了するまで何もみることができない。

 どちらがいいか、とよく聞かれる。以前はデジタルをやっていないから何とも言えないと答えていたが、使い始めている現在は説明を加えて答えないといけない。しかしながら、何とも言えないという答えは変わってないかもしれない。それは、使う個々の感性の選択であり、また使用スタイルに馴染むかどうか、撮影対象物(被写体)や撮影環境において最適かどうか、などという現実的な条件によるものであるからである。プロで活動をされている方であるならば、メディアとして画像の送付、送信速度を重視しなければならない場合もあるし、機能的な好みや必要性によるものもあるであろう。

 私の仲間の一人は獣医の手術の際に撮影をする仕事をしている。当然フイルムを換えている時間はなくデジタルカメラによる撮影が生かされている。またジャーナリズム関係の仕事をする仲間は、撮ったものを遠隔地からでもネットを通じて送信できる。

 フイルムは現像が上がるまで「待つ」という時間的なものがある。その時間の意味や価値には、現代の多くが忘れかけている大切なものがある。それは新幹線でA点からB点に移動するのと、各駅停車のローカル線で数時間かけて移動するのとの違いにも共通するものがあるかもしれない。時間の価値というのは一つだけの角度からみるものではないと最近思うようになった。写真撮影でも目の位置や角度を変えることによって同じ被写体が姿や放つ波動を変えることがある。縦構図と横構図での「変化」は被写体そのものの変化ではなく、その被写体を捉えようとする撮影者の感性のそれである。

 写真は記録を撮るための道具として発明されたが、人間が視覚というギフトを使い感性という本能につながる感覚を磨きながら使っていると有機質も無機質もひっくるめて被写体からエネルギーを感じるようになる。その写真画像を撮る道具がフイルムであってもデジタルであっても、撮影者の姿勢や感性の位置がある位置まで達したなら、その画像が発するものは、被写体そのものが発していたものだけではなく、ファインダーを通して見ていた撮影者の気まで写し込み波動を発してメッセージを送り、感動を与えるものになり得るものであることを最後に付け加えたい。

(2011年2月)

  ※ デジタル写真作品例

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 (在米写真家: 小池キヨミチ - アメリカ合衆国コロラド州をベースに活動する写真作家)

 

 
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写真作家 小池清通 コロラド事務所
「自然とつながる時」
Kiyomichi Koike Photography
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