在米写真家 エッセイ 【小池キヨミチ】

コロラド 写真家 エッセイ【小池 清通】
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                          在米写真家 エッセイ 【小池キヨミチ】
 ローテクの恩恵

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 経済成長に付随して顕著な発展を遂げているハイテク(高度技術開発)は我々の日常生活のあらゆる分野に浸透しつ続けている。何をするにも便利になり、低消費で高出力。小型化によって空間管理が容易になり、パワーアップによって作業時間の短縮や今まで出来なかったことが可能になってきた。それまでは手をつけることもできなかったものを移動することが可能になり、また移動する時間短縮により能率改善がなされてきたことは画期的なことといえるだろう。また体の不自由な方や、以前は活動することさえ無理であった方が積極的に動けるようになったことは恵みであると思う。

 しかし一方では、なくてもいいものまで商品化され売上げを伸ばすための「飾り(付属物・おまけ)」として興味を引く流行技術を商品につけることによって、販促材料として必要(←このラインをどこに引くかが難しい)以上に過大利用されているものも少なくない。そして私がもっと気にしているのは、我々が本来持っている本能的なものや、思考や身体作業によって維持し成長するべき本能の域まで技術汚染が浸透してしまっていることである。私はバイクに25年以上も乗っていたが、力一杯リアブレーキを踏めば後輪がロックして滑るが、無意識にカウンターを切って態勢を立て直すことをその操作における「感覚」を身体で覚えた。ところが技術が発達したことによって「感覚」を覚えなくてもコンピューターが代行してくれる「部分」がでてきている。アンチロックブレーキ、オートトランスミッション、ラジオの自動音量調整、光探知によるライトの点灯など。 車などは道路状況をコンピューターが判断して自動的にトラクションコントロールなるものが作動したり四輪駆動になるものまででてきているし、タイヤからの振動を体感しながら走ることもなく、また急ブレーキ時にポンピングさえしなくてよくなっている。 安全を向上したと評価すべきか、自分で判断して対応しなくても自動的にやってくれると単純に受け入れるのか、どちらがいいのだろう。

 近代国家という観点でみると、経済大国と言われるアメリカには「便利なもの」が多く、購入力さえあれば手に入るし、多く出回っている便利なものや最新技術を駆使したものを手に入れることをモチベーションとして働いている人も少なくない。リモートコントロール、自動料理機、自動皿洗機、自動照明、自動空調機、などなど。腰を上げて手で(マニュアル)頻繁に調整したりスイッチを入れなくても自動的に感知してやってくれるし、離れていてもボタンを押すだけで指示を与えられるという技術の結晶である。

 一方、そのアメリカでは人口の3分の2が病気または病気予備軍とお呼ばれている。その3分の2中半分が加重、つまり太っており、残りの半分は肥満(病的に治療が必要)である。国家レベルでみても健康保険や医療費を考えると決して無視できるものではなく、かといって経済力(マネーパワー)を支えている技術には何の解決策もない。いくら自動化されているといっても個々人の食習慣をコントロールすることは無理であり、また食材に含まれる製造保存販売上便利な添加剤、防腐剤、人工着色料、加工栄養分、化学加工された塩や砂糖などが自然治癒能力を衰えさせる。肉食系人種の多い国とは言え、特に70年代から大きく発展してきたファーストフード産業が供給し続けている獣脂過多による乳癌をはじめとする昔とは違った癌発病患者の増大や、肥満と運動不足からくる糖尿病、心臓病、関節痛などが深刻化しているが、何故か真剣に騒がれない。

 だからどうだ、と言われれば言い返す意味もない「馬の耳に念仏」現象。だが、日本ではナイフで鉛筆を削れない子どもが多いと聞く。指を切ると危ないから、と親がやらせないらしい。ワープロの発達によって字を知らない子どもが多いらしい。変換ボタンは考える機能をフルに使わなくさせてしまうかもしれない。現実逃避現象でゲームに入り込み、挙句の果てには怪我をしてもスタートボタンを押せば最初からやり直せるという無意識の感覚が根付いてしまっているらしい。CGによる特殊撮影技術で腕が飛び頭蓋骨に穴が開く。昔はなかった種類の犯罪が増えてきたのは近年なって特に目についているはずである。

 先日ある出版社に仲間2人とお邪魔した。話をしている最中に、私はどうしても電話しなければいけないところがあり携帯電話を借りて電話しようとした。ところがボタンや機能が沢山ついていて、電話番号を打ったまではよかったがどうやってかけていいのか分らなかった。ご愛嬌と解して微笑んでくださった皆に、私はこう言っていた。「写真撮影でも絞りとシャッタースピードだけで撮る人間なんで、今の携帯電話はかけることさえできない。」 一同からどっと笑いが起こった。

 ハイテクの発達によって様々な「便利」が普及したが、自分自身で考え体感して覚える「感覚」の大切さを感じてはどうであろう。用が起てばいいかもしれないが、自分自身が生まれつき持っている考える能力、応用力、抵抗力、適応力、などが、技術に頼って生活することによって退化することは間違いないと思う。次世代の、そして子孫のことを考える本能を忘れていないことを願いたい。我々生物の能力は磨けば磨くほど輝くが、使わなくなると退化するのである。技術の活用を否定はしないが、この点を強く認識して自分自身と一度話をしてみるのも悪くないと思う。高齢になっても使えば新しい脳細胞が作られ、運動をすれば新しい筋肉細胞が現れるのはその証である。

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 (在米日本人写真家: 小池清通 - アメリカ合衆国コロラド州をベースに活躍する写真作家)

 

 
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